私がおばあちゃんを大好きな理由10選
私はおばあちゃんが大好きだ。
どのくらい好きかというとタイトルを書いただけで涙がボロボロに出てきて画面が見えなくなるくらい好きだ。
果たして10個書けるまで体中の水分がもつのか、落ち着くまで休憩しすぎて締め切りに間に合うのだろうか。
それぐらいおばあちゃんが大好きなんだ。
本題に入る前に、なぜおばあちゃんを題材にしようかと思ったのか理由を説明しようとおもう。
私は母から今でいうネグレクトを受けていた。
鬱もち、ギャンブル依存症という正直ろくでもない。
現在は、児童相談所が通報を受けて活躍してる自治体もあるみたいだけど、昔はネグレクトなんていう定義がなかったからなのか、よく寝坊して服が汚い、臭いだらしない子という風に思われてたんだと思う。
晩御飯はスロット店が終わった後の時間にやっと食べれて、朝ご飯は腐った卵焼きを出されたこともあった。一口入れただけで、気持ち悪くて吐いたっけ。
父は仕事で母が専業主婦であったため、父はそもそも家事育児に無頓着であった。
そんな書いてみてよく大人まで育ったなとドン引きする家庭であったため、おばあちゃんという存在は非常に大きい存在であったからあえてブログに記憶を残しておきたいと思ったんだ。
一つ、作ってくれるご飯がおいしい
中華丼、唐揚げ、おいなりさんが一番記憶に残っている。
中華丼は肉に片栗粉をまぶして別で揚げ焼きのようにして、後で中華あんと合流させご飯と一緒に食べるのが最高においしかった。
唐揚げ、おいなりさんはセットでよく登場していた。運動会のお弁当だ。
最後に食べたのはいつだろう、思い出せない。いつしかおばあちゃんが「作るのがしんどい」と言って作ってくれなくなった。
確かに自分で作ってみると、唐揚げとおいなりさんって大変なんだよな。
中華丼は何とか記憶を頼りに再現できたのだけど、唐揚げとおいなりさんが難しすぎる。
二つ、きれい好き
おばあちゃんの家は築100年近くの2階建ておんぼろ屋敷。
ビー玉を置くと勢い良くゴロゴロ転がっていくような家だ。
しかし、虫が出てきた記憶がない。
お泊りした翌日の朝はいつも早起きして床を拭いて掃除している。一度その極意を学んだことがあるけど、到底真似できるものではなかった。
クイックルワイパーを使うのではなく、自身の手で隅々まで拭くのだ。
三つ、いつも私を受け入れてくれる
母親がいやになったとき、受験で家にいると母親にイライラして集中できないとき、私は荷物を持っておばあちゃんの家に家出した。
そのたびに快く家に入れてくれて、とても救われていた。
私がクソ母のもと、比較的まっすぐ育つことができたのはおばあちゃんの功績が非常に大きいと考えられる。
四つ、福山雅治が大好き
夜眠れないおばあちゃんは、福山雅治のラジオを非常に楽しみにしている。
「ましゃ、ましゃ」と言って嬉しそうに話す姿がとても好きだ。
五つ、いつも私のことを想ってくれている
箪笥の上に置いてあるウサギの人形のことを私だと思って大切にしているそう。その人形がどういった経緯でもらったものなのかは私は知らない。
六つ、私がプレゼントしたものをめちゃ大事にしている
中学校3年生の時に行った京都のお土産の舞妓はんの置物を、ビニール袋をかぶせて今でも箪笥の上に飾っていてびっくりした記憶がある。
七つ、厳しい時もある
高校生のころ、非常に太っていた時期にジーパンを試着して全然入らない姿を見て「みっともないから辞めておきなさい」とめちゃくちゃはっきり言われた。
あと、お菓子、ジュースの統制が厳しく近くにコンビニが無いことから耐えることを余儀なくされていた。唯一許されたかりんとう、ココナッツサブレが今でも好きだ。
コーヒー好きになったのもおばあちゃんの影響が大きい。
トーストにたっぷりバターとインスタントコーヒーのセットは最強すぎた。
八つ、お風呂がめちゃくちゃ長い
おんぼろ屋敷には風呂がないので銭湯なのだが平均入浴時間は3時間。
一体何をしたらそのくらいは入れるのか謎すぎる。
話しを聞くと湯船に入り、洗い場でストレッチを繰り返しているらしいんだけど、それで3時間も経過する前にのぼせてしまう。
九つ、家計管理がすごすぎる
おじいちゃんも、お母さん同様、競馬やパチンコ、お酒に散財してしまっていたそう。そんな中、家計管理を徹底していたようで老後の貯金がすごかった。
めちゃくちゃ少ない年金の中、預貯金だけでやりくりしていててすごいと思った。予想外に自立したはずの子が家に戻ってきてニート状態になっていてもそれでもキープできている。
十、優しい
すべてはここに集約されていると思っても過言ではない。
おばあちゃんはとても優しいんだ。時に厳しくしかられる時もあったけど、それも私を想ってのことだ。
風邪ひいたときに焼いたネギを首に巻いてくれたり、布団を蹴とばすたびに掛けてくれたり病弱だった私のことをすごく想ってくれた。
なんであんな母親になってしまったのか非常に疑問すぎるくらい、おばあちゃんはできた人なのだ。
最後に、おばあちゃんはまだ健在だ。
しかしコロナ禍で会いに行けずかれこれ2年近く電話で話すくらいしかできていない。
そんなことが続いてたら今日、ついに夢に出てきた。
亡くなってしまったあとに1度だけ夢の中に出てきてくれるという能力を使うんだけど話すことが多すぎて時間切れで、抱きしめてもらうのを忘れてもう一回会いたいというところで起きた。
起きたらぼろ泣きだった。
これがなんかの虫の知らせじゃないことを祈って今日電話してみたいと思う。
ではでは、おしまい。